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プロフィール
那覇ナザレン教会 
礼  拝 日曜日午前11時
成人分級 日曜午前10時半
教会学校 日曜午前9時15
祈祷会(聖書の学び)
       午後7時半
住 所 那覇市識名3-15-1
てぃーだブログ › 那覇ナザレン教会のブログ

2012年4月8(日) 説教要旨

2012年04月19日

イエス・キリストの復活

イエス・キリストの甦りは、
その十字架と並んで聖書の最も中心的な
出来事です。

使徒パウロは、もし復活がなかったなら、
わたしたちクリスチャンは世界中で最もみじめな者に
過ぎないと言っています。

日本のキリスト教の先輩である内村鑑三も
キリスト教の復活は信仰の中心であり、
それがないとするならば、
私たちの信仰は空しいものだと言っています。

何故でしょうか。キリスト教は単なる教えではなく、
イエスの生命が人間の魂の奥底に働く力なのです。

復活のキリストが弟子たちに聖霊の力を与えたように、
今日においても信じる者に同じ力を下さるのです。

  

Posted by nahanazaren at 14:57Comments(0)日曜礼拝

2012年4月15(日) 説教要旨

2012年04月15日

聖別と派遣

信仰は信じて心に平安を得るだけではなく、
すすんで人々に救い主を紹介して、
一人でも多くの方が
キリストの救いを受けるところに、
わたしたちに対する神のご計画があります。

わたしたちクリスチャンは、キリストの証人です。

神の日毎の恵みを感謝して、
世の光、地の塩としての使命を果たしましょう。

イエス・キリストが、弟子たちを聖霊の力に満たして
この世に派遣されたように、

私たちも家庭や職場や交友の場に
遣わされているのです。

やさしい心のこもった言葉や愛の業で、
イエス・キリストを人々に紹介しましょう。

  

Posted by nahanazaren at 13:31Comments(0)日曜礼拝

2012年4月1(日) 説教要旨

2012年04月01日

平和の主

預言者ゼカリヤはペルシャ王クロスの解放令によって、
捕囚の民と共にユダに帰国した祭司イドの孫で
バビロン生まれでした。

帰国後、エルサレム神殿再建工事のために
民を激励するとともに、
イスラエルの将来の栄光と
メシアの来臨を預言しました。

それはBC520年頃のことでした。

メシアの来臨は救い主がロバの子に乗って入京されること、
軍馬に乗らずロバに乗られたのは、彼が平和の君であることの
預言です。

戦争を全くやめさせて平和の時代を開始し、
全世界にこれを広めることを
語りかけます。

ではキリスト来臨後、世界の平和は到来したでしょうか。

世界は依然として混乱に満ちています。

ゼカリアの預言はこの世界の終末を
見据えているのです。

私たちは混乱する世界に惑わされず、

信仰に生きぬきましょう。

  

Posted by nahanazaren at 13:33Comments(0)日曜礼拝

2012年3月25(日) 説教要旨

2012年03月25日

福音と律法

パウロは律法をキリストに導く養育係であると言い、
キリストが現れた今は、
キリスト・イエスに結ばれており、

もはや養育係としての律法のもとには
ないといっています。

あなたがたは皆、信仰により、
キリスト・イエスに結ばれて
神の子なのです。(ガラテヤ3:26)

そしてキリストにあって、
わたしたちはユダヤ人もギリシャ人もなく、
奴隷や自由な身分の者もなく、

信仰において罪が許され、
皆一つにされているというのです。

これこそキリストによって
人生を変えられたパウロの説く福音です。

ガラテヤの教会にはキリストだけでは足りず、
律法を行うことによって
救われるという
誤った考え方が入り込み、
混乱していたのでした。

  

Posted by nahanazaren at 13:22Comments(0)日曜礼拝

2012年3月18(日) 説教要旨

2012年03月18日

信仰による義認

信仰義認は、救いは神の言葉である聖書によって、
ただ、イエス・キリストを信じるだけで救われるとする理解です。

パウロが直面した困難は、イエス・キリストを信じるだけでは
不完全で律法をすべて行わなければ救いはないとする教えが、
当時の教会に入ってきたことでした。

パウロ自身がかつて律法をなによりも大事にするユダヤ教の中にいましたが、
律法に死んで
キリストにあって生きる経験をしました。

これは今日においても大切な教えです。







  

Posted by nahanazaren at 13:01Comments(0)日曜礼拝

2012年3月11(日) 説教要旨

2012年03月11日

神の召し

神さまの召しは、神の選びの
み声を聴くところから始まり、
私たちのいるところで、それぞれの賜物に従って
応答することにあります。

あるものを福音宣教者、牧師、教師などに、すなわち
直接献身者や教会の働き人・奉仕者へと召されます。

使徒パウロは徹底的な教会の迫害者でしたが、

にもかかわらず
自分は母の胎内にあるときから選ばれ、恵みによって
召し出されて異邦人への伝道者とされた(ガラテヤ1:15、16)
と証ししています。

私たちはどこで
何のために召されているのでしょうか。

考えてみましょう。

  

Posted by nahanazaren at 19:41Comments(0)日曜礼拝

2012年3月4(日) 説教要旨

2012年03月04日

福音の本質

物事には中心的なことと、周辺的なことがあります。

小さな事に忠実であることは大事にも忠実なことに繋がりますが、
イエスはなくてはならないことは多くはない、
いやただ一つだけだと言われました。(ルカ10:42)

信仰にとりもっとも大切なことはなんでしょうか。

それはイエス・キリストの十字架であり、死人の中からの甦りです。

弟子たちは多くの迫害や困難の中で福音を証して教会を建てあげました。

その力は聖霊の満たしによるものでした。

私たち現代に生きるキリスト者もその使命を果たすために
御霊の力を必要としています。

福音の最も大事な事柄を理解して力ある
クリスチャン生活を送りましょう。












  

Posted by nahanazaren at 16:54Comments(0)日曜礼拝

2012年2月26(日) 説教要旨

2012年02月26日

イエスはまことのぶどうの木

ぶどうの木とその枝のように、
救い主イエスと私たちクリスチャンの関係が
信仰によって生命的に結ばれているとき、
私たちは豊かな実を結ぶことができます。

あなたはイエス様と確かに結ばれていますか。

これは大切な質問です。
これは外面的な関係ではなく、私たちの内面のことと言えるでしょう。

人には分かりませんが神さまの前にはすべてが明らかなのです。

愛の神はその独り子救い主イエスをこの世に遣わして
信じる者を救われました。

私たちのために十字架にかかり、よみがえられた
イエス・キリストから離れず、主の愛のうちにとどまり
豊かな実を結ぶものとならせていただきましょう。

イエスこそは私たちのまことのぶどうの木です。




  

Posted by nahanazaren at 16:47Comments(0)日曜礼拝

2012年2月19(日) 説教要旨

2012年02月19日

イエス 弟子の足を洗う

イエスは御自分をさして、
「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、
また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」
と弟子たちに言われました(マルコ10:45)。

イエスが最後の晩餐の席上で弟子の足を洗われたことは、

弟子たち一人ひとりがイエスに倣い、
へりくだって互いの足を洗う精神が大切であることを諭されたのです。

もし私たちがこのような信仰を持っているなら、
私たちには何の問題もないし、
また起こらないでしょう。

本当に大切なことはイエスを見上げながら、
隣人と共に歩む信仰生活なのです。

  

Posted by nahanazaren at 19:10Comments(0)日曜礼拝

2012年2月12(日) 説教要旨

2012年02月12日

イエスの愛

「人はパンだけで生きるものではない。
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」

と語られた主イエスは、同時に人々の貧しさを理解しておられるお方でした。

大勢の群衆が集ってきたとき、食物のない人々の困窮を知っておられ、

大麦のパン五つと二匹の魚から
五千人以上の人々の空腹を満たす奇跡を
行われました。

イエスご自身が貧しい生活を体験して
おられたことから、

人間の肉体の必要を知り愛をもって食物を与え、
同時に人間の真の食物は

神のことばであることを
悟らせようとされた行為でした。

  

Posted by nahanazaren at 19:28Comments(0)日曜礼拝

2012年2月5日(日) 説教要旨

2012年02月05日

イエスの癒し

新約聖書の時代、あらゆる病気は悪霊の業とされていて、
人々との交わりから退けられていたのです。

ひとたび病気になった人は希望もなく
生涯の不運とあきらめなければならなかったのでした。

イエスは悪霊をも支配されるお方でした。

気の毒な病人をすべて癒されました。

聖書には、病気の癒しと罪の赦しが一体となって記されています。
(マルコ2・9)

神は、人間を霊と体が切り離されない存在として
みておられたことが分かります。

愛の主イエスは、人が嫌う重い皮膚病も癒し、
その権威が悪霊を追放する力を持っておられることを
証明されたのです。

なんというすばらしい愛のわざでしょう。

人々はその権威を認めました。



  

Posted by nahanazaren at 19:15Comments(0)日曜礼拝

2012年1月29(日) 週報より

2012年01月30日

彼がわたしを試みられるとき、
わたしは金のように出てくるであろう
ヨブ23・10

信仰は嵐の中で成長します。

この言葉はいま人生をおびやかす嵐の中で
耐え忍んでいる人にとっては、
なんと意味深いことでしょう。

信仰は神から与えられている力であり、
それが働く時見えないものが
はっきりと見えるのです。

信仰は超自然的なものを取り扱い、
不可能なことを可能とします。

そして、それは嵐の中で成長します。

すなわち、信仰は自己の霊性に動揺がある時こそ、
成長するものです。

尊敬する信仰の偉人たちと同じような生涯を
歩もうとするなら、その道は太陽がいつも輝き、
野花が咲き乱れているような道ではなく、

狭く険しい道や鋭い岩やいばらの道であり、

それがあなたを成長させるでしょう。

カウマン夫人



  

Posted by nahanazaren at 17:43Comments(0)週報より

2012年1月29日(日) 奨励

2012年01月29日

十字架の愛

ヨハネ1・29より
西兄弟による奨励が行われました。

  

Posted by nahanazaren at 17:36Comments(0)日曜礼拝

2012年1月22日(日) 説教要旨

2012年01月22日

神はわたしたちの避け所

神は私たちを愛しておられ、
苦難や迫害から守られます。

力強い神が共におられるので
わたしたちは神に従う歩みができるのです。

「あなたがたを襲った試練で、
人間として耐えられないようなものは
なかったはずです。

神は真実な方です。

あなたがたを耐えられないような
試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、
それに耐えられるよう、

逃れる道をも備えていてくださいます」
1コリント10:13

試練を乗り越えて豊かな人生を歩みましょう。



  

Posted by nahanazaren at 17:16Comments(0)日曜礼拝

2012年1月15日(日) 説教要旨

2012年01月15日

神による解放

罪に対するさばきと同時に、
神の愛と赦しを伝えるのが
預言者ヨエルの務めでした。

神は信仰と真心をもって御前にくるものを
決して退けられません。

私たちの暮らす社会は困難に満ちています。
そして多くの人は人生のたたかいの中で
生きています。

いろいろな誘惑や益のない悪習慣の虜に
なって苦しんでいます。

ヨエルは「老人は夢を見、若者は幻を見る。
―わたしは奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ」 (5:1、2)
と言いました。

使徒言行録の著者ルカは
これをペンテコステの日に実現した
聖霊による人間の全き救いの成就として
表現しました。

ヨエル書3:1~5


  

Posted by nahanazaren at 17:11Comments(0)日曜礼拝

2012年1月8日(日) 説教要旨

2012年01月08日

神の慈しみ

預言者ヨエルは主の日の裁きの恐るべきことを
預言したあとで、悔い改めて主に立ち返った者に対して、

その愛と憐れみを与えると語りました。

神は、悔い改めて故郷に帰った放蕩息子を
迎え許した父親のように(ルカ福音書15章11~24)
わたしたちを愛して受け入れてくださいます。

実に神が求めておられるものは、
悔い砕かれた魂なのです。

新しい年を迎えましたが、
今年は良い目標を設定して主と隣人に
仕える年としましょう。

そして共に信仰の成長をみたいものです。

教会の世への宣教と証のために
教会員皆さんの信仰の一致が必要とされます。

聖書朗読箇所
ヨエル書2章12~24
  

Posted by nahanazaren at 09:35Comments(0)日曜礼拝

2012年1月1日(日) 説教要旨

2012年01月01日

神を呼び求める

ヨエルは旧約聖書の預言者の一人として、
BC790年~760年頃に活躍したと言われています。

彼は神の審判と愛を選民イスラエルにも異邦人にも
公平に説きました。

神は支配する歴史に裁きと赦しを一体として行い、
信仰に対しては愛と恵みを、
不信仰に対しては審判をもって臨みました。

私たちは神の愛と恵みに真実をもって従いましょう。
そして、人々の救いのために祈り、

み言葉を述べ伝えましょう。

聖書朗読箇所
ヨエル書1章16~20

  

Posted by nahanazaren at 09:26Comments(0)日曜礼拝

2011年12月25日(日) 説教要旨

2011年12月25日

イエス・キリストの降誕

イエス・キリストの降誕おめでとうございます。

全世界のすべての人々の救いのために
お生まれになった救い主を心から感謝して、

神のみ名をほめ称えます。

混乱に満ちているこの世界が、平和の主によって支配されますよう祈りましょう。

また、私たちはキリストに従い、
キリストの救いを宣べ伝え、隣人愛に生きたいと思います。

困難な中にいる人々のために祈り、
少しでもやさしい愛の手をさしのばしましょう。

このすばらしい救い主を、家族や隣人に紹介して
私たちの使命を果たしましょう。

聖書朗読箇所
ルカによる福音書2章1~14


  

Posted by nahanazaren at 12:25Comments(0)日曜礼拝

2011年12月18日(日) 説教要旨

2011年12月18日

私たちの希望

今年は東日本大災害、原発の破損、台風の被害などで
今も苦しんでいる人がおおくおられます。

さらに世界的な経済不況で企業が低迷し、就職難が続いています。

戦争があり、食糧不足で生命の危機の中にある人、
また、エイズなどの難病に苦しむ人がいます。

どこに私たちの希望があるのでしょうか。

私たちは困難に屈せず助け合い、祈らなければなりません。

21世紀を何としても平和で希望に満ちた世紀としなければなりません。

私たちクリスチャンにできることは
いつでもどこでも平和の主イエス・キリストを人々に伝えることです。

聖書朗読箇所
イザヤ書9章1~6





  

Posted by nahanazaren at 08:36Comments(0)日曜礼拝

2011年12月11日(日) 説教要旨

2011年12月11日

告 知

旧約時代には、イスラエルの祭司が
神殿において動物を屠り(ほふり)、
人々が罪のために受ける刑罰の
身代わりとしました。

実に多くの動物がそのために
ささげられ、犠牲となりました。

クリスマスに誕生された
神の子イエス・キリストは、
ご自分を犠牲の子羊として
伝統に従い十字架上で死なれたのです。

クリスマスの本当の喜びは、
この救い主によって
私たち人間の罪を許される
喜びなのです。

聖書朗読箇所
ヘブライ人への手紙10:1~10




  

Posted by nahanazaren at 12:55Comments(0)日曜礼拝